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2017年1月よりスタートしたオリエンテーリング関連のニュースサイトです。関東を拠点に、手の届く範囲でですが大会記事などをお届けしていきたいと思います。

#186_【参加記】佐賀県OL協会最後の大会 - 第35回佐賀県オリエンテーリング大会

今まで公認大会も含めて毎年のように大会を開催し、活発な活動で知られる佐賀県で、佐賀県OL協会主催の最後の大会ということで、11/20の大会に参加してきました。

 

OL旅行もコストパフォーマンスを考え、2日間大会でないとなかなか足が向かわず、2000年代に入ってから関西以西へ行ったのは、広島、長崎、宮崎、鹿児島位でした。東北や北海道は2日間大会も多く、かなり遠征しているので、そろそろ西に目を向けようと、昨年同じ「波戸岬海浜公園」で開催される予定だった大会、飛行機まで予約したところ、コロナで開催中止となりました。今年改めての開催となりました。しかし、今年の要項には佐賀県OL協会主催の最後の大会」の文字が追記されてました。これは絶対に参加しなければ。

それにしてもやはり一般的な観光ではちょっとと思い、博多の「海の中道海浜公園」のPCを金曜日に回り、昔大会が開催された「虹の松原」を土曜日に訪れることにしました。「海の中道海浜公園」は通行可能度も入った立派な地図(https://uminaka-park.jp/mt-static/support/theme_static/original/form/park_orient.pdf)、コースも高低差があり、動物園の中を通ったりと面白いコースで、しっかり管理されていました。「虹の松原」は、時たま小雨が降る中、自転車を借りてサイクリング、道路から北側の松林はボランティアによって整備され、オリエンテーリングをするなら見通しが良すぎてとは思いましたが、このあたりの特徴物に置いただろうなと思いつつこちらも楽しめました。道路南側の松林は、案内板もなく、小径も見つからず、藪で中には入れなさそうな雰囲気でした。海岸線に出てみると、大変残念なことにものすごい量のプラスチックゴミが…、松林へは、松林との間にある竹柵で松林への進入は防いでいるものの、これはとてもボランティアが拾える量ではないと心が痛みました。

 

大会当日は関東他で多くの大会が開かれているにも関わらず会場には、“最後”という言葉に引き付けられたのか、関東、関西他各地から顔なじみのオリエンティアが駆けつけ、さらにトレイルランナーの方も参加されていたようで、全体では約70人の参加とのこと。天気予報では、週末は雨予報で、要項には、小雨決行とかなり慎重な言葉があり、実際土曜日はパラパラと時々雨で開催を心配しましたが、日曜日は快晴となりました。
レースですが、今では珍しい、フリーポイントOL(順番を問わず、全てのコントロールを回ってフィニッシュするまでに時間を競う形式)ピンパンチ方式で、参加クラスごとに、ポスト数が異なり、参加した60Aで13個、最長の一般Aでは60Aにさらに3個を足した16個でした。
スタートでは、1分前に地図が手渡され、どう回るか作戦を練ってからスタートです。
地図上のスタートである△への誘導テープが途中で切れ、△まで向かわずにそのまま進んで行く参加者もチラホラ見受けられました。スタート枠は、会場(Mapの◎西の建物)脇で、スタート地点が、ほぼテラインで一番高い所です。

 

60Aの解説

1分前枠で地図を受け取ると、全体的には印刷の緑系がちょっと濃く、ポストの〇と数字が探しにくく、13個を見落とさないように、1、2、…13と数え位置を確認、それからルートの検討と、どこから回るかの検討で忙しかったです。コース全体としては、海岸線の遊歩道周辺、畑の中、会場周辺の公園エリアを使ったコースとなっていました。5番だけが1つだけ離れており、しかもそこは一番低く、次のポストは、海岸西側の小径が立入禁止のため、元気なうちに行って、また出戻りで登って戻ってくるルートを最初にとることにしました。目にした範囲では、参加者のほとんどが、岬のポストを最初に取りに行ったようです。

コース図(60Aの地図に、一般Aの3か所を書き足したもの)

 

△→5:西へ向かい、主要道路に出て、建物(国民宿舎)を横目で睨みながら道路を降りていくと、駐車場があり、そこは、イカ焼きなどを売っている売店が並び、観光客が車を止め、北方の玄海海中展望台や恋人の聖地と呼ばれるモニュメントへ向かって歩いている中を走って行きました。5番は、道から1回登りで近くに行かないと見えません。

5番コントロール

5→9:出戻りでさっき降りて来た坂道を登り、2つ目の駐車場を横切って9番へ

9→11:9番から南へ向かい、この付近のオープンは公園です。11は、確かに薄緑の中でAコースではこのようにわずかに歩行可能エリアや白いところにもポストが置かれ、ただのランニングコースではなくトレイルランナーは探せるかなと思いつつOLらしさも楽しめました。

11→4:11から降りてきて、駐車場を直進しようと思ったら、道路と駐車場には高低差があり飛び降りられないので、一度道を北東へ、角から駐車場へ入り、階段を探して小径へ、次に海岸の高低差があり、観光客も歩いている散策路を通って4へ

4→1:海岸線の小径を走り続け、オープンに降りたら、直進し、さらに1へ向かいましたが、白の林エリアを抜けるとキャンプ場。道を走りますが、時間的に道でテントを畳んだり片づけている人が多くて踏まないように避けながら進みます。1は少し降りた小径と小径の交点と思い、藪が切れている所が小径だと思い降りても、ポストがありません。あれ?右を見てもないので、左へ行くと小径脇にすぐありました。今これを書いている時点で、拡大鏡で見るとキャンプ場から小径へ降りる小径は地図にはなく、小径に見えたのは人工特徴物で位置説明は人工特徴物(祠)でした、老眼はつらいです。

1→7:小径をたどって7へ。

7→2:7から北東に向かう直線の小径を走りながら、この山を登った後、次の山(南東)の畑の道にたどりつける道がないか走りながら探します。どこか斜面が薄緑で突っ切れそうな所も探しますが、突っ切っても畑に出るのみで道路に出られないことを確認し、道走りが確定。結局2へ向かうために、駐車場を北東に曲がり、カーブからさらに北東へ向かう舗装道へ入り、1本目の交点を北西へ、突き当りをまた北東へ行って道路にでました。登りの道路を南に向かって走り、西へカーブしたあと、斜面沿いの道路に入って、その先で、西へ向かい山を回り込むか、東に向かって折れて少し先へ行った山の中へ入る小径を使うか、後者の方が近そうでしたが、山の中の小径の足元、途中の緑のハッチ脇の通過が心配なので、前者の道走りを選択し2へ、一度道路に出てから東へ。2は山の斜面、地図よりもう少し上にあったイメージでした。ここは完全な白ではなく、足元の木や枝に足をとられながら登り降り、真緑が多い中、よくこの尾根を探しだしたものだと感心。これで主要道路の西側が終了。

2→8:残りは港経由で山の公園エリアへ戻るだけとなりました。2のあとは主要道路にでるため、北東へ向かう畑の間の小径を使うのか、すぐ東へ折れる舗装道を使うか、前者は主要道路直前で切れており、狭いが緑が立ちはだかっているので後者を選択。8は朝会場へ行くバスから見えていたポスト、7→2、2→8と比較的長い舗装道路走りが続き、気温も上がってきて老体にはちょっとつらくなってきました。

8→3:道路走りですが、ここはさすがに下りで軽快に右手に漁港をみながら足も前へ。

3→10:住宅街を抜けて、最後の公園エリアへ向かいます。漁村の狭い舗装道がありますが、住宅の黒と立入禁止の敷地の色に埋もれて老眼の私には判別できず、茶色の舗装道路を使うことにしました。3をとって道路を走り出して、数軒先で山に登っていくような細い舗装道があり、山へ登って行く一番西側の茶色の道路につながっていそうな感じもしましたが、チラリと見て、全く判読できず、立ち止まって地図をよく見ることなく、そのまま走って北西へ向かう茶色の舗装道路を選択。入るとすぐそこから3本に枝分かれしていて、最初は一番東の道を使おうかと思ってましたが、真ん中の道がその先の途中で東の道に合流できるとわかり、これを選択。すぐ交点になり、北東に曲がるイメージでしたが、現地では、どうもイメージが合いません。なんかおかしいなと感じつつそのまま進むと、2、3軒先で行き止まりのような感じでしたが、家と家の間に人1人が通れるような細い道が続いて行きます(今ルーペで見ると小径と道が家と家の間に2本あるような…)。さすがにこれはおかしいと気づき交点まで戻り、折れて北東へ、ようやくここで真ん中の道に乗れたと判断。北上し、しばらく先で北東に折れてもう1回曲って一番右の舗装道へ出られました。北進して西へカーブするあたりで、地図は真緑ですが、目の前のあたりの斜面は人が通れそうな感じの疎林で、すぐ先が開けた土地なので、突っ込もうかとも思いましたが、更に上の開けた土地に一部ハッチがかかっていることと、疎林とはいえ、斜面が登りなのでやめ、舗装道路をそのまま走り交点まで。12は、ハッチと少し緑の所を突っ切って白のエリアへ出るか、一度折れて北東へ向かいオープン(または小径)をたどって向かうか、しかし実際ここで目の前のハッチ部を見るとちょっと突っ込むにはきつそうで、その先の緑も本当に歩行困難だったとしたら危険と判断し、まずはオープンまで走りました。実際ここまで来ると、12がかなり遠くとなり、また登りもあり、予定では12→10→6→13(13は最後にとるルール)でしたが、12まで登ると出戻りで登りが無駄になるので、急遽10→6→12→13へ変更し、そのまま西へ向かって走ることにしました。10へ行く小径の脇は本当に真緑、10は緑とオープンの境目だと思って進みます。しばらく行くと道脇でしたが藪っぽい林の中に見えました。

10→6:6は薄緑の中でちょっと不安、オープンの脇にある建物を目印にして入ればと思い、建屋の南西の角手前から山に入りますが見えません。少し段のような所をもうすこし登り尾根へ、少し南西に戻る感じでありました。

6→12:南西方向が明かるかったのでそちらへ出ることも考えましたが、少し距離があり藪につかまるのも不安なので、さっき登って来た南東へ出戻りのような感じで道に戻り、分岐を東へ、上に13を脇目に見ながら次の分岐から真っすぐ12へ

12→13:直進

今考えると、最後の公園部分を最初に回る、スタートへ戻る逆走で、△→6→5へ向かうか、△→12→6→5の方が、出戻りや登りも控えられ、6からは遊歩道も続き、舗装道路を往復しなくても景色が楽しめ、よかったかもしれないなと思いました。観光地でもあるため観光客、キャンパー、遊歩道を歩く散策者がいる中を走り、また岬にしては付近は全体的に平な地形で、会場付近に住宅も多く、天気もよいためか、地元の方が畑仕事なので表に出ていて、声援や道を誘導された参加者もいたようです。

 

レース後には、親切に会場に案内が掲示されていた国民宿舎のお風呂(会場から徒歩5分、450円で、風呂からは岬先まで一望でき、しかも時間的に利用者は他に1人とほぼ貸し切り状態)に入り、その後玄海海中展望台(魚を餌付けしているとのことで)へ、窓から見ると多くの種類の魚が沢山泳いでましました、上から釣り糸を垂らしたら入れ食い状態間違い無し。会場を後にして移動し、名護屋城跡を見学、九州や歴史に詳しい人なら常識なのでしょうが、ここを秀吉が朝鮮出兵の基地として使った所だと初めて知りました。今日走ったテラインに当時の戦国大名が軒並み陣(参考:https://nagoyajyo-rekishi.com/jinato/)を作ったことを知って驚きました。テライン内にも○○陣跡という案内板が立っていました。

 

当日の運営者は7名+お手伝いの方数名いたようです。「最後の大会」とは、予想通り、佐賀県OL協会の会員が、一番年下の方が60歳代で、しかも60歳代の方は1名で、それ以外の方は70歳代ということで、これ以上は地図調査もできなくて続けられないという、高齢化が理由でした。全国の国立大学、特に旧帝大と呼ばれた大学にはオリエンテーリング部がありますが、九大のみオリエンテーリング部がなかったと記憶しています(昔あったのかもしれませんが筆者は存じ上げていません、大昔には佐賀県に近い久留米大学にクラブがあり大会も開催していた)。そのため人材が輩出されなかったことも会員が増えなかった原因かもしれません。
当日の配られた大会参加者への注意事項には、末尾に「40年間有難うございました」の文字が並んでいました。数多くの佐賀県のテライン(公認大会にも使われた、希望が丘、嬉野、いまり、・・・、最近では吉野ヶ里歴史公園、唐船城公園、武雄温泉保養村、みゆき公園等々)が、今後利用できなくなるのかと非常にもったいない気がします。多くの地方の地域クラブ(県協会など)が高齢化を迎え消滅していく時代となりました。昭和の時代は、オリエンティアは競技者であると同時に地域クラブでは地図調査者やマッパーとして主催者でもあるというのが一般的な形でしたが、そろそろ昭和の世代も引退時期を迎え寂しい限りです。
最後に主催者のコメントを掲載します。「事務局担当の人が2年ほど前に病気で亡くなられ、渉外業務が思うようにできなくなり、競技運営も会員の皆さんの高齢化が進み、コントロール設定も厳しくなっていて、これから1人2人と欠けていくことが予想され、今大会をもって活動停止となりました」 

フィニッシュ付近から海中展望台を望む

 

  [Writer : 遠くへ行きたい]